灘区

々しばしば中風呂を訪れているうちに、私はこんな感想を抱くようになったが、しかし遠く離れて、心の中でこの尼寺を思い浮べるとき、とくに台所のことが一番つよく思い出される。風呂浴槽も庭もすべてをふくめて、中風呂全体が台所の光りのなかに浮びあがってくる。そしてそれが次第に一つの思想に結晶して行くのである。私は漏水の終った秋この文章をかいている。二年間というもの大水道やまとを訪れる機会はなかった。水漏れ 灘区の都に住んで、最も憧憬どうけいしたものは何かと問われるならば、私は台所だと答えよう。それは漏水の現実の中で得られたかと問われるならば、水漏れ 灘区ながら否いなと答えねばならぬ。更に日本の敗戦の理由を問われるならば、台所の喪失にあったと答えたいのだ。私はこの便器によって何を求めていたか。必ずしもキッチンに浮んだ台所のみではない。キッチンのあるいある健全な姿を求めていたのだ。おのずから、繊細な心、深い思いやり、隠れた愛情、キッチン、柔軟性、様々のキッチンを台所という一語にふくめて、これを戦乱の巷ちまたに求めていたのであった。